2009年10月26日

統一信徒・拉致監禁(20)

この種の題材を取り上げると、常に立場性(政治性、イデオロギー性)が糾弾的に問われる。平たく言えば「お前はどっちの味方なのか」。
(我らの不快な隣人、米本和広、情報センター出版局、11ページ)
-------

■戦争の終わらせ方

ちょっと頭の体操をする。

国家同士が、
話し合いで決着のつかない場合に、
戦争という外交手段を行使する。

ある宗教団体同士も
話し合いで決着がつかなかったので、
「拉致監禁」という強硬手段を使っている。

これは一種の戦争である。
戦争ならば、戦争の終わらせ方というのがあろう。

bakuhatu.jpg

そういう角度から「拉致監禁」問題の解決策を考えてみたい。

通常、戦争が始まり軍隊が攻撃を開始すると、
同時に戦争を終わらせる和平工作も開始される。

そして最低でも4分6くらいの勝ちの状態まで持っていって
力のある第3国の仲介で戦争を終わらせる。


日露戦争なんかがこれだ。
このやり方が良いのではないかと思う。

つまり、「拉致監禁」という戦争を終わらすためには、
@敵に対して有利な状態を作る。
A有力な第3者に仲介に入ってもらう。

こういう環境を作らないといけない。

@の有利な状態を作るためには、
・「拉致監禁」の犯罪性・被害性を明らかにし公表する。
・統一運動に賛同的な外国(米国・韓国など)の支援で世論を作る。

Aの仲介をしてくれる有力な第3者とは、
・「信仰の自由」を最も優先すべき人権であるとする米国(国務省)
・祝福結婚で韓国にお嫁に行った日本人女性を高く評価している韓国政府
・文先生と平和運動を進める欧米のキリスト教会指導者
・国連人権理事会などの国際人権機関

こういうことを統一運動の基盤をもって各方面で交渉に取り組んだら、
「拉致監禁」という戦争を終わらせることはできるのではないか。

しかし、もはや国際的だ・・・。
日本国内の統一信徒「拉致監禁」問題の解決のために
世界の人たちに動いてもらわないとならない。

とはいえ、統一運動の基盤は世界的であり、
全世界的に兄弟姉妹として結束間もあるから、
不可能なことではない。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
↑クリックお願いします。m(_ _)m

posted by デデボー at 23:08| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 「拉致監禁」問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

統一信徒・拉致監禁(19)

宗教的真理を、閉じ込められた空間、拘束された環境で、どちらが正しいかを論争すること自体が、かつのての“魔女狩り”の歴史的過ちを繰り返すものです。宗教的真理を究めるには、開かれた環境で、開かれた寛容な心をもって幅広く対話していく必要があります。
(踏みにじられた信教の自由、太田朝久、光言社、358ページ)
-------

■ケンカにしか見えない・・・

先日、ある知人から言われた。
「『拉致監禁』のブログ記事読んだけど、
どうも自分には巨人ファンと阪神ファンのケンカぐらいにしか見えないけど」と。

ガクッときた。
そうですよね。
宗教団体が信徒を取り合いしてるという話ですから。

そこに弁護士やら、マスコミやら、両親やらが出てきて
たいそう派手にやってるな、という感じですよね。

kenka.jpg

私も両親との親子ケンカなら
自宅でじっくりやればくらいに思う。
大騒ぎすることでもない。

ただ「拉致監禁」はないだろう、
ということだ。

この世でも、犯罪者は裁判にかけられて、
刑務所という場所に何年も監禁されて
その罪の償いをする。


刑務所というのは
国家が運営する合法的監禁場所だ。

国家は罪を犯したと定めた人に、
その罪の償わせ方として、
監禁という方法を使う。

刑務所の中でも規則を守らないと
独房というもっと狭い所に監禁されて
そのルール違反を償わさせると聞く。

世界でもそういう罪の償わせ方をしているわけだから、
監禁とは人間にとって最も嫌なことなのだ。

自由を奪い、
監視させ、
密閉された所に
長期間閉じ込める。

これは人間にとって苦痛でならないものだから、
監禁罪というのもあってやっちゃいけないことなのだ。

こういうことを
反対派は両親にやるよう指導している。

巨人ファンを阪神ファンに転向させるために
親に監禁させて強制説得するなんていうのはやりすぎでしょ。
そういう話をしているのだ。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
↑クリックお願いします。m(_ _)m

posted by デデボー at 23:55| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 「拉致監禁」問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

統一信徒・拉致監禁(18)

宗教とは、平和の理想世界を求めていく巨大な川と同じです。川は広々とした平和世界に至るまで、ずっと流れていきながら、たくさんの支流と出会います。本流に合流した支流は、その時からは支流ではなくて本流です。そのように一つになるのです。
(平和を愛する世界人として、文鮮明、創芸社、249-250ページ)
-------

■「拉致監禁」は手段

平和とは、秩序が保たれている状態のことである。
平和でないとは、混乱している状態のことだ。

国家同士が平和(秩序)を保つために
話し合いで決着がつかない場合、
戦争という手段を使う。

sensha.jpg

同様に、キリスト教会も統一教会と
話し合いで決着がつかなかったから、
「拉致監禁」という強硬手段を使っている。

「話し合い」や「拉致監禁」はあくまでも手段なのだ。
何のための手段か。

平和(秩序)を保つという目的のために使っている手段だ。

キリスト教会は統一教会と共存できないから、
統一教会をなくすことで平和(秩序)を見出そうとしているのだ。

しかし、果たして、キリスト教会は統一教会と共存できないのだろうか。
ここは再考しなければならない部分であると思う。

アメリカでは
キリスト教会が文鮮明先生と手と手を取り合って、
共に世界平和を力強く推し進めている現状がある。

西欧の本家本元のキリスト教会が統一教会と共存できて、
日本のキリスト教会とできないはずはない。

世界の宗教は、7割は同一の教えを伝えているといわれる。
違いは3割なのだ。

同じところの方が圧倒的に多くて、
違うところの方が圧倒的に少ない。

まして、最終ゴールは全く同じ、
個人の幸福と世界の平和である。

そして、神の願いは「1つになること」だ

キリスト教会と統一教会は共存して平和(秩序)を保つことはできる。
このことを正しく伝えないと、手段である「拉致監禁」はなくならないし、
そのうえ、神の願いを叶えることもできない。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
↑クリックお願いします。m(_ _)m

posted by デデボー at 23:08| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 「拉致監禁」問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

統一信徒・拉致監禁(17)

「信教の自由」が人類史上、初めて成文化されたのが、1791年11月3日、アメリカで制定された「憲法修正第1条」でした。この憲法修正第1条は、信教の自由を語る上で絶対に欠かせないものです。
(踏みにじられた信教の自由、太田朝久、光言社、364ページ)
-------

■ケンカばかりする宗教

私が信仰を持つ前は、
宗教戦争ほどたちの悪いものはないと思っていた。

お互いが正しいと心から信じているから、
終わらないし、どこまでもエスカレートしていく。

しかし、信仰を持つようになってみると
神様の願いは「1つになること」であることを知った。

ichi.jpg

永井隆の詩にある。

 心静かに聞けば、
 青雲の彼方より厳かにのたもう声あり。
 「恨みあらばこれを許せ。
  汝ら相愛せよ。」


このひと言に神の願いは全てこめられているように思う。

そして、人類は何とか1つになろうと
努力してきた歴史がある。

その努力の現れの1つが
アメリカ憲法修正第1条だったという。
それは国家と教会の分離を規定したものである。

要旨は
@国家は特定の宗教を公認してはならない。
A国家は、宗教上の礼拝、言論や出版の自由などを禁じたり、人民が平穏に集会する権利を侵害したりする法律を定めてはならない。

宗教が自分たちの信じる教理を主張しあえば、
妥協のない醜い宗教間の争いとなってしまう。

「拉致監禁」問題もこれに当たるし、
異端尋問や魔女狩りなんかもあった。

だから、たとえ親族間であっても、
思想、信教の違いによって争いあうことがないように、
少数派の権利を守るために定められたのが、
このアメリカ憲法修正第1条であったという。

宗教はデリケートな存在で、
国家が支持したり、不支持したりすると
優位に立ったものはいばり、劣位に立ったものをしいたげる。

つまり、
国家は全ての宗教を等しく扱うからケンカはしないでくれ
という内容で、考えてみれば情けない法律だ。

何が情けないかといえば、
宗教が情けない。

個人の幸福と世界の平和を願い、
犠牲と奉仕を本分とする宗教が
ケンカばかりしているから、
こういう法律まで作ることとなる。

これがすばらしい人類の業績として歴史に刻まれているのだから、
どれほど宗教の争いに人類は頭を悩ませてきたかが分かる。

歴史上、宗教はケンカばかりする
たちの悪いものだった。

しかし、宗教の大元締めである神様の願いは、
1つになることだ。


宗教の和合。
これからは宗教の大親分・神様の願いに
叶った宗教にならなければならないのではないか。

そうしなければ、「拉致監禁」問題も収束に向かわない。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
↑クリックお願いします。m(_ _)m


posted by デデボー at 10:01| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 「拉致監禁」問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

統一信徒・拉致監禁(16)

キリシタンが信仰ゆえに人間とみなされず、犬のような扱いを受けたように、統一教会信者も信仰のゆえに「マインド・コントロールされている」とののしられ、正常な人間とみなされない扱いを受けるのです。
(踏みにじられた信教の自由、太田朝久、光言社、157ページ)
-------

■浦上四番崩れ

キリシタン迫害の話を読むと
昔から日本では「拉致監禁」のようなことが
キリシタン相手に行われていたのだということに驚く。

kirisitan.jpg

幕末に長崎の浦上で起こったキリシタン大迫害「浦上四番崩れ」について
永井隆の「乙女峠」(中央出版社)から抜粋する。
(踏みにじられた信教の自由、太田朝久、光言社、155ページより)

 毎日お寺の坊さんが来て説教をします。・・・説教を聞かせたら、まもなく改心するだろうと甘く見ていたのでしょう。信者は毎日おとなしく説教を聞いておりました。しかしいざ転宗をしいられると、だれひとり首をたてにうなずく者がありません。こうして半年ばかり過ぎました。
 お寺の坊さんも説教の種がきれたのか、今度は神主の佐伯という人が説得にかかりました。・・・役人はいよいよ責め苦をひどく加え、説教を絶えずしました。転宗した者は山のふもとの法真庵という尼寺に移し、1日5合、お菜代71文、ちり紙1枚を与えられ、日雇い稼ぎに出ようと、何の仕事をしようと全く自由でした。魂を売って、この世の楽を得たわけです。
 光淋寺に残って毎日責め苦を受けながら、まだ転宗を申し出ない者のうちから、3人か4人ずつを法真庵の一室に移し、絶食同様の責め苦を与えながら、隣座敷の転宗者(元信者)たちが腹いっぱい食べ、働いて銭をもらうのを目のあたりに見せ、説教をしては、ただお上の言いつけに従って西洋の宗教を捨てさえすれば、その地獄から許されて、あのような極楽に移されるのだと誘惑しました。(34-37ページ)

こういう迫害話は胸がしめつけられる。
私は当時のキリシタン信者に深く同情するとともに、
このような苦難を経て日本のキリスト教の歴史を作ってきたことに
心から敬意を表する。

・・・しかし皮肉なのは
これまで迫害されてきたキリシタンが
今度は統一教会相手に同じようなことを
やっているということである。


歴史はこれをどう評価するだろうか。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
↑クリックお願いします。m(_ _)m
posted by デデボー at 23:03| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 「拉致監禁」問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。