2009年09月11日

聖と俗の融合

最も世俗的で平凡で、いつも反復され、ともすればうんざりするように思えることもある私たちの日常生活、特に、家族と共にいるような時間の中に、霊的で宗教的な修養の定義をもっと拡大させていかなければなりません。
(天和堂、文亨進、光言社、8ページ)
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信仰をもつ者の悩みの一つは、
信仰生活と日常生活の両立というか、共存の問題だ。

教会で祈祷したり、説教を聞いたり、
教典を呼んでいる時は神聖な思いになるが、

いったん家に帰って、
子供たちが暴れ回り散らかり放題の部屋の中に入っていくと
世俗的な思いにずっぽり埋もれる。

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この事態に関して
「天和堂」の中で、文亨進会長は次のように言われている。

普通では両立できないように思える修道僧たちの宗教生活と家庭をもつ一般の人たちの生活が、私たち統一教会員の生活では、完全に融合して一つにならなければなりません。(7ページ)

さらに具体的にこうも言われている。

子供たちの宿題を見てあげたり、幼い子供たちにトイレのしつけをするときも、それを真剣に“宗教的で霊的な訓練”として昇華させなければなりません。(9ページ)

日常生活を、宗教的で霊的な訓練の延長線上におく、ということだ。

日常生活に何か宗教的なものを持って来るのではなく、
日常に起こる一つひとつを宗教的訓練として位置づけなさいというのだ。

聖と俗が融合する生活。
これを文亨進会長は分かりやすく説明し実践して見せてくれる。

日々の何の変哲もない生活が
神と共なる生活になる。

そういう芸術のような生活を完成することが
私たちの目指すところだ。

暴れる子供をおさえて
ウンチのはみ出したオムツを替えながら、
それを真剣に“宗教的で霊的な訓練”として昇華させる、か・・・。

かなり高度な宗教的訓練だ。

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posted by デデボー at 23:24| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

断食が最高の教育

エジプトでは8月22日午前3時45分にラマダン(断食月)入りした。ラマダンはイスラム教徒が義務とする5行の1つで、日の出から日没まで飲食を絶つ。ラマダンを実行する人々を見ていていつも感じるのは、この期間はイスラム教徒一人ひとりにとって、信仰の原点に返るにはもってこいの期間で、最高の教育の場だということだ。
(世界日報9月3日9面、地球だより)
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断食は私も何度かしたことがあるが、
これはなかなか恩恵があって、たまにやるのはいいと実感している。
それをラマダンの話を通してさらに確信した。

このイスラム教のラマダンという断食は
話には聞いたことはあったが、
1000年以上続いている伝統なだけあってその意義は深いようだ。

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この断食期間中は、自然と善人の生活になるという。

・何よりもコーランを読む。
・礼拝に参加する。
・飢餓に苦しむ貧者に思いを寄せる。
・喜捨(献金)をする。

こういう善行を努めて行うので、心も晴れやかになるそうだ。

さらに、日没後は断食解禁なので、
家族や親族が集いともに食事を楽しむのだという。

そしてテレビやラジオも特番を組んで
この家族団欒をさらに盛り上げてくれるというから、
ラマダンというのは非常にいい伝統だと感心した。

このラマダンはイスラム教徒にとって最高の教育の場であるという。
何も食べないことが最高の教育になる。
とても面白い。

断食は腸内の浄化になり健康にとてもいいと言われるが、
実はそれ以上に、精神面の浄化・教育という効果が大きいのだ。

日本はモノが溢れすぎていて神様が分かりずらいし、
感謝が少ないと言われる。

たまには週末に1日断食でもしてみたら、
いつもと違った気分で次の1週間を送れるかもしれない。

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posted by デデボー at 14:42| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

祝福記念日

祝福記念日が来るたびに、2つのことを考えさせられます。1つは「祝福とは何か」という意義についての理解です。2つめは、「祝福を受けてから現在までの生活」を振り返りながら、神と真の父母と人類の前に恥ずかしくない生活ができたかということです。
(石井光治会長(当時)のみ言、1996年8月25日)
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今日は1992年に行われた
3万双国際合同祝福結婚式の17周年記念日だ。

桜田淳子さん、山崎浩子さん、徳田敦子さんらが
参加した統一教会のあの合同結婚式だ。

私も文鮮明先生から選んでいただいた方と参加した。

3mansou.jpg

あの時は、マスコミがあることないことを報道して、散々だった。
1年近くワイドショーやらで偏向報道を続けられ、大変な迷惑を受けた。

嘘と憶測と偏った人の意見だけがひたすら流れていた。

私が選んだ人生に一度の結婚を、あそこまで侮辱するとは、
マスコミの皆さんに何の権利があってのことか。
私の神聖な結婚式が台無しではないか。

そんな中、私たちは、神様の喜ぶ家庭を築こう、永遠の愛を築こうと
真剣に誓い合った。

おかげさまで、今では3人の息子に囲まれて
妻と仲良く暮らしている。

文鮮明先生の理想とするところにはまだまだ及ばないが、
いい家庭作りの努力は続けている。

冒頭にあるように、今日の祝福記念日は
妻と祝福(結婚)について、これまでとこれからのことを
真剣に話す時間でももってみようと思う。

外で食事でもしながら。

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posted by デデボー at 09:13| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

忘れまじきは民の父母

治者は民の父母であるというのは、世の親のような気持ちになって政治を行ってほしいということであります。・・・こういう愛が政治にも必要でしょう。
(上杉鷹山と細井平洲、童門冬二、PHP文庫、28ページ)
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上杉鷹山は、
米沢藩が借金にまみれ、
今にも潰れそうな時に、藩主になった。

藩主になるに当たって、その決意を紙に書いて神社に奉納した。
その中に次の歌がある。

  受けつぎて国のつかさの身となれば忘れまじきは民の父母

「民の父母」になる。
父母が子を思う愛情を抱いて、藩政を行うという決意だ。

そして上杉鷹山は見事、米沢藩を立ち直らせた。

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また、天皇について。

古来から、天皇は国民を「大御宝」(おおみたから)と呼び、
宝物のように大事にし、その幸福を祈ってこられた。

そのような天皇の心を「大御心」(おおみこころ)と国民は呼んだ。

天皇は代々「国の父母」として
国民に愛情を注ぎ、「国安かれ民安かれ」と祈られた。

そして日本は、天皇の祈りの下、「和」を大事にする国として
長い間、安定と発展を続けている。


さらに、文鮮明先生は、人類に「真の父母」が必要であると説かれる。

それは世界の支配者、覇権者でなく、
世界の父母、人類の父母である。

人類を、わが子を思う愛情で抱く王である。

世界の安定と発展には、
この「真の父母」が必要だという。

そして、文鮮明ご夫妻はその「真の父母」の位置に立たれておられる。
そういう目でご夫妻の歩みと業績を見て欲しい。

そういう方が今、人類の前に立たれていることに驚きと喜びを感じる。

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posted by デデボー at 10:16| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月31日

世界平和のための敬拝

私には願いが一つあります。それは今後、私たちの二世、三世たちが、統一教会であることを誇りに思える教会をつくらなければならないということです。二世も三世も、「私は誇らしい統一教会員である」と、社会の前に堂々と明かすことができ、学校に登録する時、「宗教は何か」と尋ねられれば「統一教会」と書く、そのような日が間違いなく来なければなりません。
(輝く家庭輝く教会、世界基督教統一神霊協会家庭局編、光言社、158ページ)
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文鮮明総裁の七男・文亨進(ムン・ヒョンジン)会長が
世界平和のために3000拝の敬拝を1週間されていると聞いた。

敬拝とは神様の前にお辞儀をすることだ。

お辞儀は頭を下げるものだが、
頭を深々と下げれば下げただけ、
相手に敬意を表していることになる。

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最も頭を下げた状態は
おでこが地面に着くまで頭を下げることだ。

敬拝とは、
立っている状態から、
ひざをつき、手をついて、
おでこを地面につけるまで頭を下げるお辞儀のことをいう。

神様に捧げる最高の礼を尽くしたお辞儀のことだ。

これを3000回やるというのだ。
一見、スクワットをやっているようにも見える。

立って、座って、頭つけて、また立って、座って、頭つけて・・・。

私たちも文亨進会長にならって
3000拝の10分の1、
300拝をこの1週間やっている。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
世界平和を願い、人類一家族世界実現を思いながら、
神様の前に敬拝を捧げている。

季節は夏。
やっていることはスクワットみたいなことでなので、
ものすごい汗をかく。

神様と世界平和を思いながらスクワット、
体を張った祈りみたいなものだ。

300拝が終わる頃には
ひざ・もも・腰がきつく、汗だくになる。

しばらくしたら全身筋肉痛。
どうしてこんな所まで筋肉痛?
と思うところまで痛くなる。

3000拝は本当に大変だろうなと思う。
強い心がないと、体を引っ張れないと思う。

文鮮明総裁は真剣にご自分の存命中に
世界平和を実現しようと戦っておられる。

そのご子息である亨進会長も
父の思いを受けて真剣深刻に尽力されている。

統一教会というとイメージが悪いが、
私はその統一教会にもう20年近くいる。

悪いところなら
さっさと辞めている。

私は人生をかけるに足るものがここにあると
判断をして統一教会員としてやってきた。

現在、社会的イメージは悪い。
しかし、必ず名誉挽回して、
日本と世界を愛する統一教会であると、
社会に公認していただける日を迎えたい。

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posted by デデボー at 12:15| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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