2009年08月15日

昭和天皇のこと

戦後の日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の弱体化政策によって、本当の意味での完全な亡国に陥る危険性があった。それを救ったのは昭和天皇の、終戦を決定した御聖断と、マッカーサー将軍の前に身を投げ出した、無私の精神であった。
(世界日報8月15日3面、社説)
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今日は終戦記念日なので、
世界日報の社説も終戦の日にちなんだ内容だ。

戦後の日本亡国の危機を救ったのは
昭和天皇とマッカーサー将軍と吉田茂首相だというのを聞いたことがある。

陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治 (文春文庫)

その中でも、昭和天皇の果たした役割はあまりに大きいと思う。
教科書から離れて歴史を見つめられるようになるに従って
その思いは次第に大きくなってきた。

「昭和天皇は、敗戦という現実の中で、
いわば不易と流行の見事なバランスをそこで示されたのである」
という。

不易とは、不変の原則を維持すること。
流行とは、新しさを追求して行くこと。

そして「昭和天皇が守るべきものと変えるべきものを的確に見極められたのは、
その聡明さ、そして何より国民を思う心、その責任感の故であった」という。

私が興味を持つのは、昭和天皇の「国民を思う心、その責任感」というところである。

戦後、自分の命がどうなるか分からない時に
自分の命よりも国民の安全をマッカーサー将軍にお願いされた昭和天皇だ。

いざという時に、本性が出る。

自己の身の安全や亡命を願い出るのではなく
国民の生活の保障をお願いされた昭和天皇は、
普段から「国民の安寧を祈る」生活をされていた方であることがうかがえる。

そもそも皇室は代々千年、二千年もの間、祭祀を行い続けてきた歴史がある。
つまり、「国民の安寧を祈る」という伝統を守り続けているのだ。
そして、今もその伝統は陰ながら静かに続けられている。

人知れず「国民の安寧を祈る」天皇の姿は
まさに国民の父母の姿である。

絶えず国民を祈る伝統と生活があったからこそ、
国家の危急存亡の時に
わが身よりもわが国民の身を案じることができたのではないか。

日本という国は
天皇皇后両陛下というお二方の父母の心情によって
祈られ守られてきた国なのではないかとはっと気づかされる。

改めて、天皇皇后両陛下はじめ皇室の皆様に感謝。

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posted by デデボー at 10:23| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

聖徳太子

小学館が出す隔週刊誌「サピオ」(8月19・26日号)が「日本史上最強の『外交英雄』は誰か」という特集を組んでいる。
(世界日報8月10日16面、メディアウォッチ)
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日本史上最強の『外交英雄』というテーマは興味深い。
ランキングは以下の通りだ。

shoutokutaishi.jpg  1位 聖徳太子
  2位 新渡戸稲造
  3位 小村寿太郎
  4位 杉原千畝
  5位 榎本武揚
  6位 イチロー
  ・・
  8位 空海
  9位 新井白石

ここに上がっている人たちは
さすが歴史上世界の人たちと肩を並べてやってきた日本人ばかりだ。

そして第1位は聖徳太子。

実はこの聖徳太子の外交手腕の見事さを
しみじみ知ったのは最近だ。
ちょっと紹介しておく。

当時シナ地方には
隋の皇帝がおり、周辺の王の上に君臨する存在だった。

聖徳太子は、その皇帝に「日出ずる処の天子」と「日没する処の天子」
と対等の関係を示す国書を送り皇帝を激怒させ、

その後もう一度、「東の天皇、西の皇帝に敬白す」という国書を送っている。

ここで初めて「天皇」という称号が使われたらしい。
また「敬白」とは比較的対等な関係を保ちつつ敬意を表する語だという。

つまり、最初に無礼覚悟で対等であること前面に出して相手を怒らせ、
2度目に「天皇」という新しい名称を使って臣下の「王」でないことをほのめかせつつ、
相手にはしっかり敬意を表してなだめている。

このギリギリのラインで当時、独立国としての地位を確立させたのだという。

しかも1回目の国書の後に高句麗の反乱があって
隋がもめ事を増やしたくない時期であるという時を狙って
絶妙のタイミングで2度目の国書を送っているというのだ。

当時の大国相手に、小国日本が見事に外交で
独立国であることを納得させたわけである。

まさに外交英雄1位にふさわしい業績だ。

しかし最近はこの聖徳太子がいなかったとか、
藤原不比等が作り上げたフィクションだったとか言われている。

また教科書でも聖徳太子と表示しないで、
厩戸皇子と書かれているそうで、
格下げされたような感じがする。

日本が世界に誇る人物を
日本人自身がもっと評価して誇るべきではないだろうか。

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posted by デデボー at 22:26| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月06日

政治のモノサシ

1989年に共産主義が崩壊するまで命がけで闘った私としては、穏健な二大政党制ができ、政権交代も可能になったことをまず喜びたい。自民党対社共党の「二大政党」では自由経済が失われ、スターリン主義の下、議会制民主主義そのものが失われる恐れがあったからである。
(世界日報8月5日12面、ビューポイント、加藤栄一)
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日本の政治もアメリカのような保守二大政党制の形になって
良かったという話だ。

ただ自民党と民主党、
名前も似てるし、違いが分かりづらい。

enzetu.jpg

最近は各党がマニフェストを出して
選挙公約を分かりやすくしてくれるので、
ありがたい。

ただ民主党のマニフェストは
駅前でも積極的に配っていて手に入りやすく、
我が家にも2、3冊あるが、
自民党のものは普通に生活していると手に入らない。

新聞テレビで内容を耳にするだけだ。
自民党ももっと積極的に配ればいいのにと思う。

ところで、選挙を前にしてちょっと思い出した人がいる。
上杉鷹山の師匠、細井平洲(へいしゅう)という人のことだ。

上杉鷹山が米沢藩の建て直しに大成功したのは
この細井平洲の教えのおかげであると言われるような人物だ。

その教えとは、
「治者は民の父母でなければならない」
というものだ。

世の親のように政治を行って欲しいということだ。
親は子供が飢えていれば、自分の食べる食事を差し出す。
子供が勉強がしたいといえば、自分の生活費を削ってでも子に学費を送る。
こういう愛が政治に必要だ、というのだ。

これは文鮮明先生が説かれる
「真の父母のもと人類一家族世界実現」
にも通じるもので、とても興味深い。

政治を見るモノサシとしては、とてもいい。

自民党と民主党、
どちらが「民の父母」になりうる政党か。

マニフェストを見比べる時に、
今度の選挙で投票者を決める時に、
このモノサシ、使おうと思う。

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posted by デデボー at 09:41| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

森林の国・日本

現在でも、日本の緑被率(森林が国土に占める割合)は67%と、フィンランドの69%に続いて世界第2位である。この狭い国土で、世界有数の人口密度と工業生産を維持しながら、なおもこれだけの森を残していることは、縄文時代からの共生と循環の思想が、今なお我々の精神の基底にあるからとしか考えられない。
(国際派日本人教養講座5、伊勢雅臣、こだま書館、82ページ)
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日本の国土の67%は森林である、というのは驚きだった。
その上、その割合が世界第2位である、とはさらなる驚きだった。

日本は、狭い国土、高い人口密度、工業立国、こういう条件のもとで
さらに世界有数の森林国である、という事実に純粋にびっくりした。

mori.jpg

考えてみれば、古代四大文明の地の多くは現在、砂漠化・荒地化している。
ギリシャも禿が山となったというし、
イギリス、ドイツ、アメリカの森も一旦は破壊しつくされ、
のちにに人工的に植えられたものだという。
こういう文明を、「自然収奪型文明」と呼ぶそうだ。

一方で、自然との循環と共生を大切にする文明のことを
「自然循環型文明」というそうで、
日本は何とこちら側のようなのだ。

長く環境汚染が叫ばれてきたので、
日本はさぞ自然を大事にしない民族かと思っていたが、
実はこれまでの歴史で森を消滅させることなく、
これまでずっと森林と共生してきた先進国の中でも数少ない民族だったのだ。

古代の日本人は、
すべての人は神の「分け命」ととらえていたという。
人間は神の息子、娘ということだ。
また、神の「分け命」は人間だけでなく、
自然においても、すべては神の命の表れとみたという。

日本にはたくさんの神があり
八百万の神といって、
一神教の方から見れば節操がないなどの批判は受けるが、
自然も神の「分け命」と見ればこそ、
それを大事にし、それと共生する心が生まれ育まれてきたのだと思う。

そして民族の精神の中に脈々と受け継がれてきたのだ。
こういう精神は、破壊されつつある地球を救う尊い心ではないか。

日本民族のお株が、私の中では、かなり上がった気分になった。

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posted by デデボー at 12:56| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

日本人の魅力

コミュニケーションするには、内容がなければならないのです。その内容をどうやって身につけるか、そのほうが先決です。内容もない人が世界に出て英語をペラペラ話されると、本当に困る。国辱モノで、国益に反しますよ。
(月刊ビューポイント2009年8月号、世界日報社、86ページ)
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上の引用は、お茶の水大学の藤原雅彦先生の意見だ。
数学者でありながら、国語教育の重要性を強調されている。

藤原先生の初等教育における名言で、
「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」
は有名だ。

kyoukasho.jpg

かつて明治の日本人は、欧米に視察に行って
尊敬されて帰ってきたと聞く。

具体的には、新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心などがそれだ。

文明開化間もない日本人が
先進国の欧米で尊敬されるというのは、
彼らにかなり高い精神性があったからだろう。

しかし、今の日本人は
「人はいいが魅力がない」
といわれているそうだ。

日本人の魅力低下の原因が国語力の低下にある
という主張があるが、けっこう頷ける。

日本語は含蓄のある言語だとしみじみ思うことがある。
この言語を通して考え、発想し、作り上げてきたのが
日本の技術であり、日本の文化であり、日本の歴史だ。

この日本語から日本の精神が培われてきた部分も多いと思う。
最近、漢字や古典を学ぶことがブームになっているというからいい傾向だ。
明治の人に負けず、高い精神性をもった魅力ある日本人になっていきたい。

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posted by デデボー at 00:29| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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