2010年07月06日

松陰の辞世の句

松陰の辞世の句に「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」とあります。どれほどの決意だったのでしょうか。その句を理解するには時代的背景を考えなければなりません。徳川幕府に反旗を翻す者は当時、国賊視されました。
(VIEWPOINT JULY 2010、世界日報社、54ページ)
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29歳で斬首された吉田松陰の辞世の句

  身はたとひ武蔵野の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂

yoshidashoin.jpg

当時、徳川幕府に反旗を翻す者は、国賊視された。

そういう人の遺体の扱いは、
穴を十分に掘って埋められず、土を少ししかかけられなかったという。

その遺体は野良犬に食べられたり、
カラスにつつかれたりして散乱し
その場所には腐臭が漂っていたそうだ。

そこが今の小塚原というところ、
すなわち東京都荒川区南千住だったという。

松陰は「武蔵の野辺に」、つまり南千住に
自分の屍がさらされることを覚悟しての句だったのだ。

げげっ、私は驚いた。
私がいつも活動しているのが足立区の北千住で
南千住とは隣の駅だからだ。

南千住は安政の大獄で20万人くらいが
処刑された場所なんていう話は聞いた事があったが、
罪人の遺体が捨てられる場所でもあったとは。

南千住の駅前に延命寺というのがあり、
そこの掲示板によると、

かつて江戸時代から明治初期には、
小塚原刑場という処刑場(仕置場)があり、
20万人余の罪人がここで刑を執行されたという。

この小塚原処刑場は
江戸の三大刑場と言われていた場所だそうだ。

そしてやはり、吉田松陰もこの地に
葬り去られていると書かれている。

非常に重たい地なのだな。
我々宗教者が多くいるのも意味があるんだな
と感じた。
posted by デデボー at 23:31| 東京 🌁| Comment(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
荒川区南千住・足立区北千住周辺を転々としながら暮らしてきました…今は五反野ですが。
こんな近い場所なのに、知らないことだらけ。松田松陰が近くにいたとは…とっても驚きました。
Posted by ニコニコ at 2010年07月07日 08:47
はじめまして

秀吉が成し遂げれなかった、朝鮮半島支配について、松蔭もその思想をうけつぐものです。その思想は明治政府の重鎮伊藤博文に受け継がれたことを考えると、彼の歴史的評価を考えると、複雑な思いになります。
Posted by 畑じじい at 2010年07月08日 16:42
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